
「今思えば、インドネシアで600キロ分のカカオ豆を自費で購入したのが、すべてのはじまりでした」
京都を拠点に構えるBean to Bar専門店「Dari K」。陽光が店内を明るく照らす。入り口横に吊り下げられているカカオの形をしたガラス容器は、カカオ酒の「神香(かかお)」。実際に買うことができる。
他にも、カカオ豆を焙煎したものにチョコをかけた「ニブチョコ」や、インドネシア産コーヒー豆をチョコレートでコーティングした「コーヒービーンズチョコ」など、カカオ豆の生産に関わっているからこそできる商品が所狭しと並んでいる。
そして、特注でつくったガラスケースの中にあるのが、Dari Kの代名詞的商品「フレッシュ・チョコレート」。口に入れたあと舌の上でゆっくりと溶けていくと、華やかなチョコレートの香りが口の中に広がる。
フルーティーな酸味を感じる「スラウェシ・プレーン」や、キャラメルのような余韻のある「バリ・プレーン」のような産地によって異なるフレーバーをはじめ、柑橘の甘酸っぱい香りのある「柚香(ゆこう)」、「ほうじ茶」など、種類によってさまざまなアソートが楽しめる。木箱の梱包になっていて、プレゼントにもちょうどいい。
カカオ豆からさまざまなチョコレート商品をつくっているDari Kの代表取締役・吉野慶一さんがこの会社を立ち上げたのは、2011年のこと。「Bean to Bar」という言葉は、まだ聞き慣れなかった。
吉野さんがDari Kを創業する前は、外資系金融機関に勤務。日々せわしなく働いていた吉野さんは、休日になると、よく海外に行っていたのだそう。「僕は元々バックパッカーなんです。学生時代から60カ国ぐらい行っていて、働きはじめてからも気分転換に海外に行くのは全く抵抗がなくて。そのときは、『土日だし行っちゃおう』って」
休日に、弾丸旅行で訪ねた韓国。そこでたまたま入ったチョコレートのお店が、吉野さんをインドネシアに誘った。
「お店の奥に、カカオ豆の産地を示す世界地図が書いてあったんです。見てみたら、アフリカ、中南米だけでなくアジアでも獲れるらしいと分かりました。その場で『カカオの生産国』と検索してみたら、実はインドネシアは世界第3位だったんです」
世界第3位。日本ではガーナ産カカオはよく聞く一方で、同じアジアであるインドネシア産のものはほとんど見かけない。
「理由が分からなくて、その場でいろいろ仮説を立ててみたんです。インドネシアはカカオ豆の値段が高いのかなとか、インドネシアは自家消費が多くて輸出は少ないのかなと。帰国後、日本に帰ってきてすぐにコンビニで板チョコを買って、裏に書いてあるお問い合わせ相談室に電話しました」
吉野さんが電話口で質問をすればするほど、「何が聞きたいんですか?」と、クレーム扱いになってしまう。吉野さんは、そこで諦めるどころか逆に火がつき、自分の目で確かめるため、2010年単身でインドネシアに向かった。
「カカオ農園のある村ではホテルがなかったので、2〜3週間ほど農家さんに泊めてもらっていました。カカオの栽培から収穫、輸出までの工程を見ていくうちに、どうやら『発酵』がキーワードなんじゃないかと気がついたんです」
現地で分かったこと、それは、インドネシアではおいしいチョコレートをつくるのに不可欠な『発酵』という工程を行わずにカカオ豆を出荷していたという事実。
当時からカカオ豆の国際相場は一方的に決まってしまうため、仮に発酵させて質の良いものをつくったとしても、発酵の手間を省いた低品質な豆とほとんど差がなく、1キロ当たり5円〜10円程度の差。農家の収入は、カカオ豆を売って初めてお金になるため、収入を得るのが1週間分遅れて、さらに手間がかかる発酵をした上にほとんど手取りが変わらなかったら…。「それは、発酵をしないという判断になりますよね」
そこで吉野さんが考えたのは、インドネシアでもちゃんと『発酵』さえすれば、高品質なカカオ豆が売れるのではないか、という仮説だった。
「でも当時は、まだチョコレート屋をやるという考えは全然なくて。少なくとも自分でやるとは思ってなかったので、農家の人に『発酵させたカカオ豆なら日本に輸出できるかもしれないよ』みたいなアドバイスするぐらいで帰ろうとしたんです。そうしたら……」
「泊まっていた農家のおじさんがすごい剣幕でこう言ってきたんです。『2,3週間泊まって、発酵が重要だとか言うだけでカカオ豆を買わないのか』『そもそもお前はカカオ豆のバイヤーじゃないのか』と」
そうして詰め寄られた吉野さんは、押しに負けて600キロを自費で購入。自宅宛に輸入することになった。
そこから個人輸入の通関手続きをおこない、自宅に搬送。一束60キロの麻袋は、10袋分にもなったと言う。
「京都って基本エレベーターがないんですね。当時3階に住んでいたので、必死に部屋に運んでいる途中で麻袋のひとつが破けてしまったんです。階段に転がるカカオ豆を夢中で拾いながら、手伝ってくれた周りの人に『何ですかこれ?』と聞かれて(笑)。何とか自分の部屋に入れることができました。」
今でこそ、チョコレートの一大祭典であるパリで開催される「サロン・デュ・ショコラ」の品評会でも受賞するほどの実力を持つ、Dari K。最初のスタートは、自宅まで運んだカカオ豆600キロをどうチョコレートにするかからはじまったのだ。
「自室の3分の2はカカオ豆で埋まってしまったんです。どうにかしなきゃと思い、チョコレートメーカーに電話をしてみたものの、全部断られてしまいました。そりゃ、そうですよね(笑)」
そこで、自分でチョコをつくろうと本屋に行き、20〜30冊購入。すべて読んだものの、どれも“チョコレートを溶かすところ”から説明していて、カカオ豆からチョコレートをつくる方法は載っていなかった。その後ハローワークに行き、カカオ豆からチョコレートをつくれるパティシエを募集した。
「フランスやベルギーなどのチョコレートが有名な国では、カカオ豆から製造するところがあったので、僕がそういうところで修業したシェフだと思われていたらしく、いきなり『吉野シェフの下で修行させてください』と勘違いされてしまいました(笑)」
正直に話すと、「私にはできません」と断られてしまう —— 。最後に残った女の子が「私、コーヒーの焙煎を見ていたのでできる気がします」と勇気を出して言ってくれたその言葉で、彼女を雇うことを決めた。
続いて、お店。海外の人にもチョコレートについて知ってもらいたいという思いから、候補地として考えた先は、東京か京都。当初は東京にする予定でしたが、保証金が高く断念。東京の生活に疲れていたこと、学生時代に住んでいたことから、もう一つの候補先だった「京都」を選んだ。
「ところで」と言い、吉野さんは、ぽつりとこうこぼした。
「僕は元々アナリストだし、正直言うと、技術があんまりないんですね。パティシエも1人いるぐらいで、有名なお菓子屋さんとかパティスリーが抱えるようなスターパティシエはいないんです」
日本では、「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」や「パティシエ エス コヤマ」など、シェフの名前を冠していたり、有名ショコラティエが顔になっていたりするブランドも多い。一方で、大手の「株式会社明治」や「森永製菓株式会社」などは、どんなカカオ豆が来ても、同じ味と品質を保つ技術力がある。どれも、当初のDari Kにはなかったものだった。
どう差別化していくか —— 。考えた末に選んだのは、“素材”だった。
「Bean to Bar専門店は、板チョコをメインに扱っているところが多いですよね。板チョコは日持ちがするし、常温での長期保存に向いています。でも、半年〜1年間も棚に置いている状況って、フレッシュさを無駄にしているんじゃないかと思ったんです」
「僕らは、カカオ豆の指導から輸入、製造まで全部やっています。極端な話、数日前まで木になっていたフレッシュなカカオ豆をすぐにチョコレートで食べられる。だから、板チョコではなく、フレッシュで素材の味わいをダイレクトに感じてもらうために「生チョコ」を選んだんです」
カカオの場合、買取り価格の需要/供給バランスに相関性はない。そこでDari Kは、より品質の高いカカオ豆を買取るために、7つのスタンダードを設けている。
1つ目は、アグロフォレストリー*¹ をすること。
2つ目は、農薬や化学肥料を使わないこと(移行中を含む)。
3つ目は、児童労働をしないこと。
4つ目は、ナタを使用しないこと(ケガをしてしまう可能性があるため)。
5つ目は、発酵をDari Kがチェックすること。
6つ目は、トレーサビリティ*² ができること。
7つ目が、Dari Kもしくは現地パートナーが農園指導をすること。
*¹ : 森林の保護と作物栽培の両立のため、農作物の間に樹木を植栽すること
*² : 流通経路を生産段階から最終消費段階まで追跡が可能な状態であること
「この7つのスタンダードのうち、5つか6つ以上守れたら、この金額で買い取りますよ、という買取制度にしたんです。そうすれば、カカオ豆の相場に関係なく、自分が頑張ればこの価格で買い取ってもらえるようにしました。この金額って相場と比べると1キロあたり5割ぐらい高いんですね。メーカーからすると『5割も高く買ってるの?』と思われるんですけど」
その結果、初年度は5人の農家からスタートしたのち、2017年現在は約300人に増えた。「今後1,000人以上は契約できる」と、吉野さんは考える。
「僕はチョコレートをつくりたくてチョコ屋の起業を決意したわけではないんです。実際に自分の目で現地を見て、農家の人たちを助けたい、良い品質のものだったら必ずどこかで認められるような仕組みをつくりたい、そう思ってはじめたんです」
吉野さんは、Dari Kはフェアトレードチョコレートではないと言う。“かわいそうだから消費者が高く買ってあげる” という考え方ではなく、“生産者にどうすれば良いものがつくれるか方法を教えて、その結果良いものをつくれたら高く買う”という本質的な在り方を、Dari Kは目指しているのだ。
「これを思い立ったきっかけがあって。最初に現地に行ったときに、AとBの2つの村があって、両方の村でカカオを栽培していました。A村は数年前にフェアトレードプログラムのおかげで1キロ当たり100円から120円にアップしました。でも、B村もずっと同じように育ててたのに、今まで通り100円。
このフェアトレードプログラムの企業からすると、自分たちが関わった村の買取価格が20%アップし、この地域としても10%アップになり、社会的貢献をしていると言っていたんですけど、B村の人に話を聞くとすごく怒っていたんです。つまり、フェアトレードってマクロで見たらフェアだけど、ミクロで見ると所得格差を生んでいたんです」
・A = 100円 → 120円(+20%)
・B = 100円 → 100円(±0)
・(A&B) = 平均100円 → 110円(+10%)
「誰が文句を言っていたかというと、頑張っていた人たちなんですよね。頑張ってる人は、『俺は頑張って良いものをつくろうとしてるのに、買取価格が上がらない』『適当にやってるやつが高く買ってもらってる』と。本気でやっている人を報いる体制をつくることが、僕はフェアなんじゃないかと思うんです」
Dari Kの支援は、現地の農家たちに対しても行う。例えば今年の夏、現地の小学校で子どもたちと一緒につくったチョコレート体験のこと。
「安いチョコは、もちろんコンビニでスナック菓子として売ってるんですけど、板チョコみたいなピュアなチョコレートはほとんど食べたことないんですね、お父さんがつくっているのに」
「これまで、小学校で子どもたちとかに、『将来何になりたい?』って聞くと、学校の先生や警察官、お医者さんがトップ3。9割がカカオ農家なのに、誰一人としてカカオ農家を継ぎたいという子がいなかったんです。でも、石臼を使ってチョコレートができることを見せると、『お父さんがつくってたカカオ豆ってこんなにおいしいものになるんだ!』って衝撃を受けて『農園継いでもいいな』って言う子が出てくるんです。この表情を見られると、すごくうれしいですね」
子どもたちは、お父さんの農園でつくられるチョコレートのおいしさを知り、そして将来の選択肢のひとつに「カカオ農家」が加わる。それが、新たな可能性につながるのだ。
「『今まで食べたことなかったけど、吉野さんが教えてくれたから焼いてみたよ』とか『子供の誕生日にチョコケーキつくってあげたの』と聞くと、少しずつですが着実にインパクトを与えられているなと感じられるんです」
これからのDari Kについて、最後に聞いてみた。
「Dari Kはまだ2店舗しかないですし、ずっとチョコ屋さんとして活動していきたいかっていうと、あまりそうは考えていません。むしろ、Dari Kにしかできない“素材”を追求していきたいと思っています。Dari Kでは質の良いカカオ豆からおいしいチョコレートをつくる。そして、ショコラティエやパティシエには、私たちのチョコレートを使っておいしい商品をつくってもらう。同じ時間とエネルギーがあるなら、僕らはエッジの効いた商品だけつくって、インドネシア産チョコレートの良さを世界に広めていくことに注力していきたいです」
最近では、大手企業との研究開発にも力を入れているのだと言う。
「そもそもの話ですが、チョコレートをつくるのに砂糖を入れないといけないのって、『チョコレート = 甘いもの』っていう認識があるからですよね。カカオ豆は苦いから、それを打ち消すために砂糖を入れないといけない、と。でももし、カカオ豆が苦くなかったら、そもそも砂糖を入れる必要がなくなりますよね。カカオ豆を扱っているからこそそういう実験もできるなと思って、現在、大手企業と一緒に発酵の研究開発をしています。まだまだ、カカオには可能性があるはずですから」
最後に、こう話してくれた。
「僕たちはお客さまを喜ばせるっていうのもそうなんですけど、インドネシアの農家さんたちを喜ばせるっていうのも大きな役割だと思うんです。僕らは原材料の品質にこだわるのはもちろん、つくるところから携わっているので。カカオ農家も私たちもお客さまも、三者全てがWin-Win-Winの体制を構築すること。それがDari Kの考える『カカオを通じて世界を変える』につながると考えています」
WRITER
平野太一
CAKE.TOKYO 編集者。あたらしいものとおいしいものを求めて、プライベート・仕事を問わず、実際に訪ねることをモットーに、日々活動しています。 Twitter : @yriica
PHOTOGRAPHER
名和実咲
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