珈琲ほど、スイーツに合う飲み物はないと思っています。お菓子を引き立て、単体でも幸せを運んでくれる希有な存在。珈琲好きが高じて、編集部の平野は、札幌出張に際して「森彦」「RITARU COFFEE」「BARISTART COFFEE」の3つのお店を訪ねました。北海道は、スイーツ王国であると同時に、おいしい自家焙煎珈琲が飲めるコーヒー屋さんがたくさんあるのです。3店それぞれが考える珈琲観について聞いてきました。

1996年に、最初の店舗としてオープンしたカフェ「森彦」。それから20年が経った現在、6店舗を構え、昨年9月にオープンした「MORIHICO. TSUTAYA 美しが丘店」では、カフェだけではなく、約1,000坪もの商業空間をMORIHICO.がプロデュースしました。

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すべての店舗のアートディレクターとして、MORIHICO.のクリエイティブすべてを司る、代表の市川草介さん。これまで何を考え、珈琲に対してどんなことを感じているのか。市川さんにお時間をいただき、じっくりと話を聞きました。

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長年愛されるのは、“商道徳”のあるお店

今日はよろしくお願いします。市川さんがどういう経緯で森彦本店を立ち上げたのか、珈琲に対してどんなふうに向き合っているのか、市川さんなりの哲学をお聞きしたいです。

市川森彦の立上げ話をする前に、僕の経歴から話した方がいいかもしれないですね。

よろしくお願いします。

市川もともと僕は、商業プロデューサーになりたくて、札幌の専門学校でグラフィックデザインを卒業した後、東京でも専門学校でインダストリアルデザインを学びました。グラフィック、インダストリアル、アーキテクト。ここらへんを勉強したらプロデューサーになれるんじゃないかと当時思っていたんです。

それで、週末になると気に入る喫茶店を探し回っていて将来の仕事を空想していました。好きだったのは、路地裏にひっそりと営む喫茶店。立地に関係なく辺鄙なところでも長年続けられている喫茶店を成り立たせているのは、商道徳というものではないかなと思っていたんです。

商道徳…ですか?

市川つまり、お客さんにおもてなしをして良い時間を過ごしてもらおうとすること。その積み重ねが、路地裏でも長年商売を続けられているコツなのかなと思っていたんです。

そんなことを考えながら、23歳で札幌の円山にデザイン事務所を建てて、数年後に今の森彦本店の土地を手に入れたとき、自分が若いころに実感した、商道徳があるお店づくりをやってみようと思ったのが、最初のはじまりです。

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おいしい珈琲をつくりたいなら、おいしい珈琲に出会うこと

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市川僕の家は、おじいさんの代から珈琲が好きで、ちゃんと豆を買ってきて、手挽きのミルで挽いてドリップしていました。当時はインスタントコーヒーが主流だった中、僕もお店をつくる前から自分でネルドリップで珈琲を淹れていました。

小さいころから!当時は、珈琲苦くなかったですか?

市川もちろん砂糖とミルクを入れていました。入れると何ともいえない、エキゾチックな香りがするんですね。珈琲しかないんですよ、この香りを有しているものって。

おいしい珈琲をつくるためには、おいしい珈琲に出会うことが重要なんです。森彦も、自分たちで焙煎するまでには、おいしい珈琲屋から豆を仕入れていました。札幌市内のお店を探すためにあちこち巡って「これは…!」という珈琲を見つけるわけです。ある焙煎師の淹れた珈琲を飲んだとき、珈琲の魔法に触れた気がしました。まったく違いましたね、香りから甘みから。

ちなみに、その焙煎師の方ってどんな方ですか?

市川ひっそりやりたいのだそうで、ごめんなさい教えられないです。笑

本当においしい珈琲を飲んでほしいという職人気質な方で、僕の珈琲の神様ですね。そこで「おいしい珈琲」のイメージをインプットして、あとはその味を出すために何度も焙煎するんです。

炎の問題、釜の問題、プロパンがいいのか都市ガスがいいのか…。気温、湿度をデータ化してみたけど、最初の数年は全然うまくいかないんです。

何度も何度も何度も失敗したからこそ、珈琲の奥深さを感じて自分の残りの人生をかけても良いなと思ったんです。今でこそですが、珈琲に何かあったときには一発で原因がわかるようになりました。

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北海道で焙煎する珈琲が一番おいしい

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市川僕は、「おいしい珈琲」って濃く淹れてもスルスル飲めるものだと思っています。焙煎や抽出が間違っていると、とたんに飲めなくなる。濃くてもおいしく飲めることがひとつの真実。森彦では濃厚な一杯の満足を売りたいと思っています。

でも、同業者からこんなふうに言われるんです。「こんなに濃かったら珈琲お替わりしないんじゃない? 商売としてはどうなの?」って。でも、そんなこと考えたことがなかった。それよりも、1杯で究極に満足して帰ってもらいたいと思うんです。

珈琲は、焙煎する場所によって味は変わりますか?

市川風土がそのまま、珈琲の味になります。豆は南国から仕入れてるんだからどこで焙煎しても同じじゃないかっていうのは素人で。実は、焙煎する場所によってそこでしかつくれない珈琲になるんです。そして私は、北海道が一番おいしい珈琲が焙煎できると思っています。

どうしてですか?

市川気温と湿度ですね。東京でジンギスカンを食べて生ビールを飲んでもあんまりおいしくないでしょう? 北海道のカラッとした空気で食べたときには、こんなにうまいものはないんです。

北海道の珈琲が深煎りなのは、はっきり言うけど、味噌ラーメンを生んだ土地だから。だから道民は、コーヒーも濃厚なものが好きなんですよ。笑

なるほど!

市川僕はコーヒーカルチャーが大好きなんです。そもそも、珈琲にリスペクトしているんですよ。今思えば、お店をつくるときにも、コーヒーカルチャー自体へのオマージュなんです。珈琲が大好きで本当に素晴らしいと思っているので、その想いをどうやったら他の人にも伝えることができるのか。いつも考えています。

自分たちで手塩にかけたものを提供したい

どういうタイミングで、次のお店をつくったんですか?

市川森彦本店をつくってからは本業を忙しくしていたものですから、次の店舗(アトリエ・モリヒコ)をつくるまでに10年かかったんです。

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市川今後の将来を考えたときに、趣味と自己表現でやっていた森彦から、珈琲ビジネスとしての森彦として本格的にやってみたいと考えるようになりました。自分がこれまで培ってきたスキルをどうにか珈琲に活かせないか、と。お店の店舗デザインからサイン、ロゴマーク、フライヤー、パッケージまで、全部で自分で手がけていました。

そして本業のデザインを少しずつ少しずつ比重を減らすようにしていった。でも、やっぱりどちらも片手間にはできないと思い、珈琲事業に本腰を入れたんです。2号店ができてから5年目のことですね。

今2号店は10年目を迎えました。それが街寄りだったものですから、もちろん家賃も高いしビルの中なので、今回はセルフビルドではいかないわけです。そこで初めて事業として、借り入れをしました。

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趣味のレベルではなくなった…。

市川そう。今まで趣味っていうのはいささか言い過ぎだけど、少なくとも借金はしていなかったので、しくじっても何でもないわけです。ただ、銀行から借金してしくじるわけにはいかない。ここで決心しましたね。

そして、このときに工房までつくってパティシエを雇ったんです。珈琲も自家製、ケーキも自家製。なんでも自分たちでつくるのは言うは易しなんですが、実現させるのは難しい。

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市川これを断固として続けているのは、自分たちで手塩にかけたものをお客さんに提供したいという気持ちからです。お客さまに自分たちの本気が伝わると信じています。それに、わざわざ本州や海外から来ていただく方に「来てよかった」と言ってもらいたいから。お客さまの記憶に残るようなお店ってなんだろう?ってずっと考えているんです。

手に職をつけている人の仕事はなくならない

市川ネルドリップで一杯ずつ淹れているのは、正直、非合理きわまりないんです。今は、機械のボタンを押したら出てくるものもあります。でも僕は、そんな時代だからこそ安易に合理的なことはしたくない。

ハンドドリップ、セミオートのマシン、手づくりのケーキ。少なくとも、何かしら手に職をつけてほしいと思っているんです。そういう人の仕事は最後の最後、結局残っていくんです

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市川MORIHICO.もエスプレッソマシンは使っていますが、セミオート。職人の技が必要なんです。その日の気温や湿度をもとに圧やグラインドを調整したりして。自分のメンタリティが味にも現れてくるとわかったときには、もっと真剣になるじゃないですか。そういう手仕事を身につけさせる環境にしているんです。

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市川今は機械化が著しいですが、そういうものが増えれば増えるほど、丁寧なフルサービスも貴重になっていく。みながフルサービスだった時代は珍しくなかったけど、ファストチェーンができてくるとフルサービスが贅沢になってくるんです。

僕は、究極的に2つのタイプのお店しかないって思うんです。ひとつが「わざわざ」、もうひとつが「しぶしぶ」。週末に憩いに行ったり、自分へのご褒美のためにわざわざ出かける店は、旨さは追求するけど早さは追求しない。むしろ、待たせても旨さで詫びる店になりたいんです。

森彦は、サービス業であり製造業でもある

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市川「森彦ってカフェでしょ?」って北海道の人は言うんですが、東京の人は「珈琲屋だよね」って思うはず。道民以外は、森彦のことを知るには豆を買わないといけないので。となると、コーヒーロースターになるんです。

森彦は、カフェを中心としたサービス業をしていますが、屋台骨を支えているのは、珈琲豆販売の製造業。自分たちで価値をつけて、そこに価格をつける。工程が多くて、やることっていっぱいあるんだよね。設備・人・技術、この3つが必要です。

森彦さんがうまくいったのは、どこが理由だと思いますか?

市川うまくいったと思わないよ、試行錯誤中だし。でも、製造業よりもサービス業を最初にはじめたことが良かったのかもしれません。サービス業の大事さをわかって商売をやってるから。

だって、実際お客さんが目の前で口につけてる珈琲を「おいしいね」って聞いたり、SNSのタイムラインに流れてくる感想を見たりするわけです。お客さんの反応をいつもダイレクトに見ながらビジネスができる。そんなうれしいことはないですよ。

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このインタビューが終わったあと、20代の今、インタビュアーの僕(平野)は、いろんなことに悩んでいるのだと相談したところ、こんなアドバイスをくださいました。

若いうちは、自分のためにお金と時間を使っていいんだよ。だってそれが肥やしになるから。自分のために使っておかないと、相手に差し出すこともできないし。一生分の貯金だから。今のうちにたっぷりと自分のために贅沢したほうがいいよ。

最初に訪ねたときに飲んだ珈琲に感動してから、数ヶ月。念願叶って、インタビュアーとしてもう一度訪ねることができました。

市川さんの車に乗せていただき、お店を一緒に周りながら、珈琲のこと、お店のことなどを聞いていたつもりが、いろんなところに飛躍して、自分の糧になる言葉までいただけた、濃密な1日でした。

お店について、商売について、そして、市川さんと珈琲について。合計3本を通して「森彦」の魅力を紹介しました。もし、札幌に行く機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。

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